1960年代から70年代のアメリカの時代背景は、1968年メキシコシティオリンピックでの「ブラックパワー・サリュート」(アフリカンアメリカンアスリート トミー・スミスとジョンカルロスが行った、拳を高く挙げた黒人差別に抗議する示威行為)に象徴されるように、人種差別社会であった。
この当時は、例えば黒人がレコードを出して音楽活動をする事などは一切許されず、出版するとしても白人に吹き替えさせたりする等、全く黒人に人権が与えられる時代ではなかった。
しかし、このような人種差別社会も徐々に緩化し、60年代後半から70年代前半にかけてはJames BrownやRufus Thomas, Sly & Familystoneに見られるようなFUNK MUSICが流行となり、Funky Chiken, Funky Breakdown, Funky Robot, Bosa Nova, Four Cornersといった、いわゆるParty Dance(日本でいうSOUL DANCE)が生まれた。
そのような時代背景の中、一人の男が登場する。
Don Campbelである。彼はParty DanceであるFunky ChikenやBosa Novaを踊っていたが、実はあまり上手く踊りこなせていなかった。
しかし、その彼の滑稽な様子は、Greg Campbellock Jr.や周りの人間達(Creative Generation)に酷く感銘を与え、そのDonの動きを元にCAMPBEL LOCKING(LOCKING)は形成されていったのである。
今で言うLOCKINGの動きにも、Party Danceから派生したものが多数あるように、当時に生み出されたCAMPBEL LOCKING(LOCKING)の中にある多くの動きは、Creative Generationと呼ばれる世代のダンサー達により、Party Danceから多くにヒントを得て編み出されていったのである。
1970年当初、Don CampbelはFruky LukeとFred Mr.Pinguin Berryと共に、「THE Campbellock Dancers」(今で言う「THE LOCKERS」)を結成。
後にGreg Campbellock Jr.を中心にWilliamson, Bill Slim Robot Williams, James Skeeter Rabbit Higgins, Tony Go-Go Lewis Foster, Adolfo Shabba Doo Higgins, Toni Basil(OG SKEETER RABBITは一時期のみであり、Shabba Doo HigginsやTony GO-GO Lewis Fosterは「THE LOCKERS」後期メンバーとされる)と言ったメンバーで活動をしていくことになる。
しかしレコード会社との権利上の問題により、「Campbellock Dancers」は、後に「The Lockers」と改名して活動していくこととなる。
「THE Campbellock Dancers」が活動する一方で、Tony GO-GO, Buddy GO-GO, OG Skeeter Rabbitを中心とした「GO-GO Brothers」も結成され、「THE LOCKES」以前にLOCKINGで初めてショーをしたともされている。
この「GO-GO Brothers」の流れには「YO-YO Brothers」というチームも存在したが、これらは合わせて「GO-GO Brothers FAMILY」と称され、これらチームの名付け親は共に「THE LOCKERS」のFred Mr. Pinguin Berryと伝えられている。
その同時期、テレビ番組「SOULTRAIN」がシカゴで始まり、1971年この番組がロサンゼルスに移ったことにより、番組は全米放送となる。
これを皮切りに、多くのダンサー達は全米各地からロサンゼルスに移住し、精力的な活動を繰り広げていく。彼らは番組内では「Original Soul Train Gang」と紹介された。
そして1972年、黒人による黒人のための10万人コンサート「Wattstax」が開催される。このコンサートの開催は、黒人にも一つのアイデンティティーが認められる時代の到来を予感させる兆候であった。
そんな中、「THE LOCKERS」がショービジネスを確立させていくこととなるが、その背景には説明不可欠の人物がいる。
当時から芸能関係に精通していたToni Basilである。
彼女がメンバーに加わることにより、「THE LOCKERS」は「SOUL TRAIN」をはじめ、様々なメディアに進出することが可能となり、精力的な活動を経て、「THE LOCKERS」は全米で一躍大スターとなる。当時の時代背景から見てもこれは異例な出来事であった。
更に「THE LOCKERS」の活動は、全米ツアーだけに留まらず、海外カナダでもショーを行うなど世界規模にまで渉る。
そしてこの影響力を持った彼らがショーの中で様々なFUNK MUSICを使用したこよにより、黒人FUNK MUSICやSOUL MUSICがこの時代から更に深く根付いていった。
この様に、「THE LOCKERS」の活動は当時の黒人文化の発展と結びつきが強く、彼らの活動が如何に当時の人種差別社会や音楽等の文化的発展において貢献したかは、計り知れないものがある。
そして70年代後期。
時代の流れと共に個々の思想にも相違が生じ、「THE LOCKERS」は解散する。
解散後、メンバーは世界中で各自の活動を行うようになるが、その活動の中、メンバーのTony Go-Goは1981年日本に渡り、周知の通り日本のLOCKINGシーンを支える大きな役割を果たすこととなる。
こうして「SOUL TRAIN」の放送や様々なメディアを通して、「THE LOCKERS」やその番組内から生まれた「Original Soul Train Gang」等の活動が世に広まり、同時にLOCKINGというDANCEは世界中に広まっていった。
そして、今もなお活動を行うメンバーのうち、特にGreg Campbellock Jr.は、世界中で後世にCAMPBELLOCKING(LOCKING)を伝えるべく、精力的に活動している。
この様に長い時代を積み重ね、今も尚、LOCKINGは世界で幅広く愛され、受け継がれているのである。