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全Locker必読!!Jimmy Scoo B Dooインタビュー!!

“Locking Summit Japan”では、今回25年振りにダンスシーンに帰って来た”Jimmy Scoo B Doo”をインタビューさせて頂きました。
ご協力頂いた、”DANCER’S PRIDE”の皆様、”FEELIN'”の皆様、ご協力有り難う御座いました。

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(※今回時間が余り無かった為、インタビュー用の写真を撮り忘れてしまいました。)

Locking Summit Japan(以下 LSJ) - まず自己紹介をお願いします。

Scoo B Doo(以下 SD) 

- Jimmy Scoo B Dooだ。
カリフォルニア州のサクラメント出身でLAに移り住み、今はラスベガスに住んでいるよ。
OG Lockerとして今は、ワークショップやイベントなどで世界中を飛び回っているよ。
沢山の人々と楽しい時間を過ごせているよ。

LSJ- 幼少期はどの様に過ごしましたか?

SD- 7歳から14歳ごろまで・・・余りいい思い出はなかったかな。
子供の頃は結構ネガティブな思いでばかりで余り思い出したくないかな。笑

LSJ- ダンスを始めるきっかけはなんでしたか?

SD- LAに移り住んで15歳の時だったかな?
フリーモントと言う高校で出会った、ルドルフとランドルフと言う友達が、僕をダンスパーティーに招待してくれたんだ。
その時はダンスパーティーに居るだけで興奮して、踊ったりはしていなかったよ。
けれど物凄く楽しくて、彼等が行くダンスパーティーに付いて行っては踊りをずっと観察してたんだ。
そして、16歳になった時に彼等が”Marverick’s Flat”を教えてくれたんだ。
・・・そこに行った最初の夜にLockingの創始者”Don Campbellock”に出会ったんだ。
勿論興奮したね!!彼がLocking(Campbellocking)をしてるのを見て、とっても興奮したよ!!
そこからこの踊りに興味を持って毎日練習したんだ!!
勿論、Don Campbellに話しかける事なんて出来なくて自分自身で練習したよね。笑

LSJ- ”Marverick’s Flat”でDon Campbellに逢えた事が、ダンスライフの中でターニングポイントだと言う事で間違いないですか?

SD- 勿論。彼はこの踊り(Locking)の創始者だからね。
彼がこの踊りの上半身の動きを創りだしたんだ。
彼を”Marverick’s Flat”で観てから5か月間、ずっとLockingにのめり込んだよ。
Lockingの動きは、本当に人々とのやり取りや、アクシデントから出来てきている動きばかりで、Don Campbellがやる動きが全てLockingの動きになっていたよ。
例えは・・・笑った人を指差したとかね(Uncle Sam Point/Point)。
その中でも衝撃的だったのが、人々がFiveをくれなかったから、彼自身が自分でFiveをしてしまったことだった(Give Your Self Five)。
だけど、僕はLockingを練習していくのに上半身の動きだけでなくて下半身のLocking Stepを作って行って、それを取り入れていったんだ。
最初に作ったのは”Scoo B Doo”だったね。

(Scoo B Dooの由来については、ワークショップの講義の中で説明されていたものなので省かせて頂きます。)

LSJ - その後、Don Campbellと話をしたり仲良くなれたのでしょうか?

SD- 僕が車で出かけていたある日の夜、”Marverick’s Flat”で彼が話しかけてきたんだ。
”君はこの近所に住んでるのか?”と・・・勿論、”そうだよ”と答えた。
そして”僕を家まで乗っけて行ってくれないか?”と言って来たんだ。
そこから僕たちは親友になれたんだ。
そこから一緒にダンスを練習するようになったり、色々なナイトクラブに遊びに行くようになったね。

LSJ - ではどのようにして”Scoo B Doo”のニックネームを使いだしたのでしょうか?
とあるアメリカの古い雑誌では、あなたの好きなキャラクターだったと言う事で記事にしていたようですが?

SD- それは事実ではないね!そもそも、Scoo B Dooの存在自体を知らなかったよ。
“スクービードゥー”と言うキャラクター自体知らなかったんだよ。
ただ、Don Campbellがその漫画が人気なのを知っていて、ある日突然「スクービードゥー!」と呼び始めたんだ。
そしてそのニックネームを貰って、そこから定着していったのが事実だね。

LSJ - では、Soul Trainダンサーにはどの様にしてなれたのでしょうか?

SD- Pam Brownというコーディネーターが、既にSOUL TRAINに出演していた”Damita Jo Freeman”に誰か良い人が居ないか?と相談していて、LAのデンカーパークで友達を集めて踊らせたんだ。
その後に、僕や他のダンサー達は、SOUL TRAINで踊る事になったんだよ。

LSJ - SOUL TRAINに初めて出演した時はどんな印象でしたか?

SD- 色んなモノに驚いたよ。
照明、カメラ・・・セッティング・・・
どうやって作られてるのか?など興味津々だった。

LSJ - SOUL TRAINのアーティストのパフォーマンスで、記憶に残っている方はいますか?

SD- アレサフランクリンやジャクソンズ・・・色々な偉大なアーティスト
を覚えています。
中でもやっぱりJames Brownだね!!
後にロサンゼルスフォーラムと言うところで一緒にパフォーマンスすることになるんだけど。

LSJ - それでは、Soul TrainでJames Brownが審査員だったコンテストで、優勝した時の事を教えてください。

SD- ダンスをしていた中で唯一得た名誉だったよ!
それは本当に信じられない事だったね・・・これはSOUL TRAIN GANGだけのコンテストだったので、James Brownとスタッフが投票したと聞いたけど、それが事実かは解らない。Damita Jo Freemanも、僕も、なんか歴史の1ページを作ってる様な感覚だったよ。

LSJ - SOUL TRAIN GANGとして全米等を回るツアーの仕事はあったのでしょうか?
そういった経験はどうでしたか?

SD- 勿論したよ!James BrownやWhispers・・・他の沢山のアーティストともツアーを回ったね!!とてもエキサイティングだったよ!!

LSJ - さて質問を変えて、Lockingの様々なSTEPを作ってますが、THE LOCKERSのメンバーではなかった事はどのように感じていましたか?

SD- Don Campbellが僕を、ダンスにおいて特別だと感じてくれなかったから、と思う。
(お互い感情のすれ違いが一番の原因だとインタビューして感じました。)

LSJ - その時どう感じましたか?

SD- 色々なTHE LOCKERSのショーを見ていても、僕はやっぱり不快な感情があったと思うし、あまり良く思ってなかったよ。
そんな時1974年頃に、Damita Jo Freemanと話し合って・・・SOUL TRAIN GANGのメンバーと”SOMETHING SPECIAL”(何か特別なグループ)を作ったんだ。

そして1974年~1979年頃までは、全米や海外でツアーをしたんだ。

その頃にSOMETHING SPECIALのマネージャーの意見もあって、限界を感じSOUL TRAINを去る事を決意したんだ。

LSJ - SOMETHING SPECIALが解散した後は何をしていましたか?

SD- 余り言いたくないんだけどね。笑
LAのストリップCLUB”Chippendale’s”でダンサーをしていたよ。
”Don Campbellの勧め”だったんだけどね。
そこで1984年まで踊っていたよ・・・

勿論・・・僕はやったよ。お金になると感じたから。

LSJ - その後あなたの人生に何が起きましたか?

SD- 1985年にダンスシーンから離れる事になるんだ。
Chippendale’sを去ろうと決意してから、他にも色々とDANCERとしてのキャリアを重ねていくことになるが・・・それが本当に僕がやりたい事ではなかったんだ。
そこから、様々な問題を抱え過ぎて、僕自身少し病んでいったんだよ・・・
更には、古い雑誌などを見て・・・もう僕は必要の無い人間だと感じたんだ。
それが1985年の事で、気分のモチベーションの憂鬱さがピークに達したんだ。
そこから、深く落ち込んで鬱病になってしまったんだよ。

”もう僕は必要とされていないんだ・・・”と感じてしまった。
そこからLockingはおろか・・・踊る事も辞めてしまった。

LSJ - どのぐらいこのダンスシーンから離れていたのでしょうか?

SD- 25年間だよ。

LSJ - その踊る事を辞めてしまった期間は何をしていたのでしょうか?

SD- 普通に働いていたよ。
踊る事を諦めてしまった・・・ギブアップしてたから。
Lockingで何かをしたい・・・とか、何かをしようって気持ちが無くなってしまっていたんだ。

けれど・・・1985年に踊りを辞めてから1992年頃までは、Lockingのルーツについて本当に興味深くなって、研究を始めたんだ。

1993年にラスベガスに移った後も2006年頃迄ずっと研究を続けていたんだ。
それが、正しい事かどうかはさて置いてね。笑

LSJ - 何故・・・Lockingを踊る事を諦めたのですか?

SD- 1985年の事だ。
その当時に何処のグループにも所属してなかったのがデカい理由だね。
Don Campebllも僕をグループに加えてくれる事はなかった・・・だから自分の存在に失望すると共に踊る事をやめてしまったんだ・・・僕の魂も燃え尽きてしまった。
色々な所で、Don Campbellの作ったLockingと言う踊りに僕の作ったSTEPが加えられて踊られているのが見て取れた・・・

けれど・・・

”そこに僕はいない・・・”

僕の現状はやるせない気持ちで一杯だった・・・というの所が本当の気持ちだったと思うよ。

(THE LOCKERSに誘われなかった彼の気持ち、SOMETHING SPECIAL解散後、行方を失った彼の魂の現れだと感じます。)

LSJ - でも、このシーンに戻って来た時は驚いたのではないでしょうか?

SD- 勿論驚いたさ!!!!
インターネットも繋がっていなかったし、、今がどの様な現状になっているかも解らなかった。
僕が遠ざかってる間は、僕自身もそのシーンに触れる事は無かったわけだから。
誰もLockingしてるなんて僕は思わなかったよ・・・でも沢山の人々がLockingを
していて・・・本当に驚いたね!!!

LSJ - 貴方がこのシーンにカムバックした時に、貴方からOG SKEETER RABBITにコンタクトを取ったのですか?

SD- 違うね、彼が僕にコンタクトを取ってきたんだ。
そして、一番最初に彼に逢って・・・僕はその当時の友達と再びつながる事が出来たんだ。

LSJ - このシーンに長年携わっていなかったけど、それについてはどう思いますか?

SD- とても素晴らしい世界になったね!
若い世代が僕のSTEPをしてくれてる・・・そして、Don CampbellやFluky Lukeも。
SUGA POPも僕をリスペクトしてくれて、色々伝えて行ってくれてる・・・

“シフト”を創ったAlpha Omegaなんかも、僕と同じ心境だろうね。

LSJ - このシーンに戻ってきた時には既にGreg Campbellock Jr.は他界してましたよね?

SD- その通り。僕が戻る2週間前だよ。

LSJ - それを知った時どうでしたか?

SD- とても驚いたし、悲しかった。
彼が亡くなった後だったからね・・・僕が戻ってきたのは・・・沢山の人が知ってる通り、彼はこの時代にとって本当に重要な存在だったからね。

”何より彼の死が、僕が戻ってくる原因にもなったから”・・・

僕が今伝えて行ってる事は、彼が既に先にやっていた事だからね。

”彼がやって来た事を僕が受け継いでやっている、だけれど・・・僕がやっている事の道標は、彼が作ってくれたんだ”

LSJ - Greg Campbellock Jr.との思い出を教えてください。

SD- 彼とは沢山の事を一緒に始めた。
一緒にルーティンをしたり、色んな場所にも行った・・・沢山一緒にLockingしたさ。

Don Campbellockも僕のルームメイトだった・・・けれどGreg Campbellock Jr.もそうだったんだ。

一緒にクラブも沢山行った・・・沢山色々な仕事もしたよ。
一言じゃ表現しきれないね。

LSJ - Greg Campbelock Jr.は生前、Scoo B Dooが一番の親友だと答えていました・・・そして最後に一言をお願いします。

SD- それはとっても嬉しい事だよ。
僕が戻ってくる前に彼はこの世を去ってしまった・・・と同時に、僕が彼の意思を引き継いで伝えて行ってると、僕はいつも心に刻んでいるよ。
勿論、彼は僕の大親友だよ。

彼がやっていたLas Vegas Elite Locking Campも、僕が責任を持って引き継いでるよ!!

その後日本には、2012年に貴方達のメンバー”Toshio”〔Top Nation/Campbellock Jr. Family)にFreeStyle Session Japanで呼ばれたのが最初で、それをきっかけに色々なイベントに参加する事になったんだ。

本当に色々なイベントに呼ばれる様になったよ!!

今は、それこそが僕の生きる証だね!!

(Greg Campbelock Jr.死後・・・Las Vegas Elite Locking Campのサポート役”SUNDANCE”に我が”Locking Summit Japan”がコンタクトを取り・・・その意思の灯を消さないでください、とお願いしていた事は彼の知る由もない秘話です)

LSJ - どうもありがとうございました。

※各所、彼がインタビューの中で答えていた、Lockingに関しての知識・歴史等はインタビューには掲載せず、また更に詳しくまとめる事が出来てから記事にしようと考えています。

その理由としては・・・彼が欲しがっていた、Greg Campbelock Jr.が遺した全てを網羅した書類自体を彼に渡せていない事が一つ事由に挙げられます。

併せて、今回のインタビューで我らの存在と、Greg Campbelock Jr.の命日・・・
そして、Jimmy Scoo B Dooのカムバックした時期を照らし合わせて・・・
何か運命付ける物を感じました。

Locking Summit Japanが定義・追求する”Original Locking”は更に昇華を続け・・・

僕達のSOUL・・・

魂の中では、”Original 【True】 Locking”と銘打ちたいと思います。

Greg Campbelock Jr.に出会う事が出来ない・・・

この言葉の意味を知る人が沢山現れる事を願って・・・

Thnak U Come Back Jimmy Scoo B Doo・・・

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and Rest In Peace・・・Greg Campbelock Jr.